会社方針

当店は門川港に水揚される豊富な魚を丸干、開き干に加工し、全国の量販店に出荷してまいりましたが、安いものを大量にどんどん作るこれまでの時代は変わろうとしています。

一つには漁獲量の減少です。日本及び世界で魚の数は激減しています。これまでのように良質な魚の確保が非常に困難となってきました。

原因として地球温暖化、大気汚染、乱獲、クジラの異常繁殖等があげられますが、おおよそ複合的なものでいろんな原因が重なっているのでしょう。今の環境より明日、いえ100年後の漁業資源について本気で取り組まなければならないと考え、これからは無理、無駄の多い量販店への販売は減少させ、一品一品製品を大事に作り、販売していきたいと思います。

また、食生活の変化により干物はあまり食べられなくなったと言われますが、なぜ食べないのか?ずばりおいしくないからでしょう。

スーパーなどで売られている干物はほとんどが保存料、旨み剤、発色剤が混入されなんの味だかわからなくなってます。大人はこんなもんだ、おいしいと思って食べているようですが、小さい子供などの鋭敏な舌には合う訳もなく、魚は何でも体に良いと思っている大人の強制で子供の魚嫌いが増えているようですね。そのような子供もスナック菓子などの獲りすぎで本来の鋭敏さを失っていくのは悲しいものです。化学調味料は一種の麻薬のようなものと私は断定します。食は心と体を作り、もっとも手軽に幸福感を味わえるとともに、数々の伝統や習慣を後世に伝える事のできる物です。その中でも魚は日本人にとってはなくてはならない大事なタンパク源です。もっと魚食を掘り下げ、進化させ、後世に胸を晴れるような商品開発に力を注ぎ、ほんとに旨い、自然の味をお届けしたいと思います。
会社沿革
古くより門川町で網元、船宿等営んでいた模様。だが、正確な記録はなし。
(黒木という性は約900年前に京都から移り住んできたという記録はある)

会社として登録したのが、昭和27年。合資会社黒木清太郎商店が登記上では始まりである。
清太郎は私の祖父にあたる。
(当時は雑節や鰹節、塩いわしやとうじんぼしの生産が主。捕鯨漁なども盛んだったという記録あり)

昭和40年ごろ、私の父が継ぐにあたり、合資会社かね七海産に社名変更。
(このころはいわしの丸干しやちりめんなどが最盛期。労働者確保が大変でした)

平成元年、私の代になり黒木清一郎商店として創業。平成10年に有限会社かね七ひもの店と社名変更。
(漁獲が年々減少の一途をたどる時代になる。量より品の時代へ)
代表者略歴

黒木 清一郎 昭和39年3月13日生まれ 

門川小学校卒
門川中学校卒
富島高校卒
鹿児島経済大学卒
トーマス経営研究所勤務
平成元年よりこの仕事

血液型 A型

体重 87キロ

趣味 読書 ギター 作詞作曲

特技 早寝早起き 

工場風景

  
















所在地