そのとき歴史は動いた?もしくはプロジェクトX?(門川編)

 趣味(笑)で門川の歴史をちょっとづつ調べています。おもしろいかって?正直なところこれという偉人もなく、大戦争もなく、一揆もなく、たいした災害もなく、、、有史以来、結構平和な町ですね。
 それというのも農業、漁業、林業という一次産業が均等にしっかりと根付いていたので、あまり食うに困らなかったのかな?一国として独立してもいいような地区です。これほど社会バランスのよい地区は宮崎県下には見当たりませんね。
 てなわけで、日本が大きく変わるような事件はないわけだども、面白いことをちょびっとづつ書いてみるべえー(笑)

 第1回 後藤勇吉門川湾に舞う

 後藤勇吉なる人物は日本人飛行士の草分け的存在で、大正時代は全国にその名を知らぬものはおらぬ!というくらい有名な人です。
 出身は延岡ですが、代々門川で製塩業を営み、財を成した家系に生まれ育ちました。若き日は自動車関連の「ヤナセ」に就職していたようですが、どうしても飛行士になる夢が捨てきれずに、大正5年なんと日本初の飛行機インデアン60馬力の水上飛行機を購入して帰県し、草川の浜に格納庫をたて、門川湾で飛行練習をしていました。当時、軍隊以外で飛行機を所有していたのは勇吉だけだったそうです。

初の国産複葉式水上機インデアン60馬力
白戸式巌(いわお)号






 ところがこのインデアン、飛ばないんです。ただ水上を滑走するばかりで、一向に飛ばない。欠陥品だったのでしょうか?
 半年間滑走するばかりの日々が続きますが、なぜ飛ばないのかよくよく考えたところ飛行機の下部についているフロート(浮舟)が悪いということで、これを作り直し、再度挑戦!試行錯誤の末、同年9月15日に民間人による日本初飛行に成功します。


飛行テストには多くの青年たちの協力がありました。






 
 しかしながら、高度50メートルより上に上がらず、限界を感じた勇吉は再び上京し、その後の日本の空を華々しく飛び回りますが、太平洋横断飛行の訓練中に帰らぬ人となりました。享年33歳。大空に魅せられた男の短いながらも華麗な一生ですね。


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